私たちはなんとなく生きている

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自分のようで自分じゃないこの肉体。

心臓は勝手に動いてるし、呼吸も勝手にやっている。

そんな内臓の動きと同じぐらい、ふとした瞬間の何気ない判断は無意識で行われる。

人間社会で生きていると、あたかも脳で考えて生きてるような錯覚を覚えるが、人間を含めた動物は身体の自動的な反応をベースに生きている。

この 身体の自動的な反応=無意識、無意識=なんとなく である。

身体の自動的な反応は身の置き方(体の使い方、環境など)によって決まり、身の置き方はまた身体の自動的な反応をベースに意識の軌道修正が加わって決まる。

ただただ身体の自動的な反応に任せ続けていけばなんとなく生きていけるが、なんとなくの人生を望まない人も多い。自らの欲を満たすために、意図的な何かを成し遂げたいと思うのもまた人間としては自然なこと。

なんとなくの基準は過去の体験。過去に嫌な経験をしたものはなんとなく遠ざけるようになるし、嬉しい経験をしたものはなんとなく近づけるようになる。過去を基準に生き続けるとどうなるか。変化が乏しい自然界なら問題ないかもしれないけれど、目まぐるしく環境が変化する人間社会ではちょっと辛そうだ。

そこで意識の出番。意識は過去だけでなく未来を基準に考えることもできる。そんな性質を使って、なんとなくの軌道修正を行う。基本はなんとなく生きつつも、自分の望みを叶えるために必要な部分は意識で無意識を説得する。

「勉強あと1ページだけ頑張ろう」

「普段は食べないこれを食べてみよう」

「今日は一駅歩いてみよう」

意識でなんとなくの軌道修正に成功すると、行動が変わり、新しい体験が生まれる。そこで嬉しい体験をすれば、それがまた新しいなんとなくになる。この積み重ねで人は変化する。

よく綺麗な女優さんが美肌の秘訣を聞かれて「何もしてません」と言うのは本当で、アスリートがインタビューで「特別なことはしていません」と言うのも本当。

彼らは意識的な行動を積み重ねてきたから、普通の人が必死にやるレベルがなんとなくになっている🦉

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