さぁ、次のチームはオーストリア4部だ。
空港でご飯も食べれた。モンテネグロに比べたら全てが清潔で美しい。
スタジアムもウエイトルームも完備、ユニフォームも支給されるチーム。お給料もしっかりもらえて、グラウンドに牛の糞も転がっていない。
モンテネグロを経験した分、この恵まれた環境に感謝をしながらサッカーに打ち込むことができた。チームの監督は元プロで、人間的にも尊敬できる素晴らしい指導者だった。シーズンが始まってからもチームとの相性も良く、これまでで1番自分の実力が発揮できていると実感していた。
そしてありがたいことにオーストリア国内で評判が広がり、遂に2部のチームのスカウトが興味持ってくれた。
次の試合にスカウトが視察に来て、実際のプレーを見て移籍の判断をするらしい。ここで結果を出せば一気に上に上がれる。いつもより気合が入る。
…スポーツの世界は厳しいなと思う。
スカウトが見に来た大事な試合で、僕は大怪我をした。
外側側副靱帯の損傷。8週間の離脱が決まった。もちろんスカウトは何も言わずに帰った。
当時23歳。今人生を振り返っても、ここで怪我をしなかったらプロへの道が繋がっていたんじゃないかと考えてしまう。でもどうしようもない。
怪我をしたままオーストリアにいても仕方がないので、治療に専念するため日本に一時帰国することになった。それからは父親も必死で、良い先生の評判を聞いては遠くまで車で連れて行ってくれた。
そしてこの期間に偶然にも、ばあちゃんが亡くなった。
たまたま怪我をして日本にいたから最期を看取ることもできたし、お葬式に出ることもできた。
ばあちゃんはいつも元気だったけど、肺炎で急に亡くなった。81歳。ばあちゃんはいつも本を沢山読みなさいと言っていた。一緒に図書館に行ったり、本をプレゼントしてくれたり。知らない世界を知る楽しさは、間違いなくばあちゃんが教えてくれた。
初めての身近な人の死だった。周りはみんな泣いていたけど、自分は泣けなかった。悲しいというか、不思議な感覚だった。ばあちゃんはよく「頑張れ」と声をかけてくれる。
最後も病室で聞こえないぐらいの小さな声で「頑張れ」と僕の背中を押してくれた。

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