モーリー物語 #2

地域にはクラブチームがなかったから、みんな中学校のサッカー部に入った。

全国に行ったメンバーがそのまま同じチームに入ったからそりゃ強い。だけど部活はあくまで部活。みんながプロを目指すわけじゃない。中学生になれば彼女もできるし遊びも覚える。自分と周りの熱量はどんどんズレていって、チームはだんだんと勝てなくなっていった。

だけど僕はプロになりたいから諦めない。トレーナーの杉浦さんに練習メニューを作ってもらって1人で練習を続けた。サッカー漬けの毎日でじいちゃんの店に行く頻度は減ったけど、たまに思い出したように店に遊びに行った。気づけばじいちゃんより力持ちになっていたから、重いみかんの箱の上げ下げを手伝うようになった。

3年間担任をしてくれた中西先生は本当に良い先生で、いまだにうちのお店に来てくれる。中学生活は友達にも先生にも恵まれた。だけどサッカーでプロになるなら、ずっとこの町にいちゃダメだ。

本気でプロを目指す先輩たちは、中学卒業と同時に県外に出ていく。

プロを目指す自分も当たり前のように高校から県外に出ると決めていたけど、背があまり高くない僕は中々セレクションに受からなかった。やっとのことでサガン鳥栖のセレクションに合格し、佐賀県に本拠地を構えるサガン鳥栖のU-18に所属しながら現地の高校に通うことに。15歳の挑戦を家族は心から応援してくれた。

ばあちゃんは「やりたいことがあるなら思いっきりチャレンジしてきなさい」と言い、じいちゃんは「公務員もいいけど医者も良いんじゃないか」と言った。二人は相変わらず仲が良い。

学校が決まってからはあっという間で、生まれて初めて実家を離れての寮生活。旅立ちの朝、家の前には友達が30人も集まった。その光景を見た両親からは「これからも人を大切にしなさい」と言われた。

電車を乗り継いで辿り着いたチーム寮では、僕のような県外から来るユース選手とトップチームの若手選手が二人一部屋で暮らす。ありがたいことに先輩たちは優しく親切だった。

もちろん中学の部活とは次元が違う、全員がプロを目指す環境でのサッカー。しかしサッカー以上に大きな壁は九州弁。違う国に来たのかと思うぐらい同級生が何を言っているか分からずヒアリングに苦労した。寮と高校とグラウンドを行ったり来たりする毎日。ハードな練習、学校の試験勉強、難解な九州弁、追いつくのに必死な生活が続き、気がついた頃にはもうセミが鳴き始めていた。

レベルの高い練習にも慣れ始めた夏、練習中に腕の骨を折ってしまった。スポーツに怪我は付きものだからしょうがない。そのまま夏休みを迎え、久しぶりに実家に帰った。何より驚いたのは自分が九州弁になっていたこと。全く自覚はなかったが家族全員からツッコまれて初めて気がついた。慣れって恐ろしい。

それにしても実家は落ち着く。母の作るご飯は本当に美味しい。久しぶりに食べると、これまで自分はこんなに美味しいご飯を食べさせてもらっていたのかと気づいた。思い返せば子どもの頃から毎日のご飯も、試合の時のお弁当も、いつも美味しかった。母は料理の天才だ。身長がなかなか伸びない僕のために栄養面も沢山考えてくれて、母はいつも僕のことを考えてくれていたんだと深く実感する。

数日のオフはあっというまに終わり、また佐賀に戻る。帰りは家族みんなで駅のホームまで見送りに来てくれた。僕が電車に乗り込むと、そこまでずっと堪えていたのか、父親が突如泣き出した。号泣。その姿を見て母親も泣き、電車の窓越しに僕も泣き、家族全員大号泣。一生忘れない感動的な光景の一つだと思うけど、大人になって思い返すと、家族全員でホームで大号泣する姿はちょっと恥ずかしくて笑える。

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