モーリー物語 #1

1992年2月29日。バブル経済の終焉と共にモーリー爆誕。横浜の百貨店で働く両親の元に生まれたモーリーはモリモリと元気に成長。モーリーが3歳の頃、父が実家のお店を継ぐことになり家族で和歌山県新宮市へ引っ越すことになる。

これまでのビルに囲まれた都会の景色からは一変、山!海!鹿!大自然と野生動物に囲まれた新宮市に移ったモーリーは、サッカー好きの父の影響でサッカーを始めた。自分の顔よりも大きいボールを必死に追いかけ、側から見るとボールで遊んでるのかボールに遊ばれてるのか定かではなかったが、楽しそうなのは確かである。遊びとサッカーの充実した幼稚園ライフを満喫したモーリーはスクスクと成長し、小学生になった。

「じいちゃーん!」

父が継いだお店に遊びに行くと、いつもじいちゃんが笑顔で迎えてくれる。

お店は元々肉屋さんだったらしいけど、今は何屋さんなのかわからない。海の近くのとても小さなお店で、町の人たちのリクエストに答えて野菜もお菓子も牛乳も売っている。田舎特有の、小さな町のコンビニ的存在。

じいちゃんはいつも優しい。遊びに行くとお店に並んでるあんぱんやみかんをくれた。中でも好きだったのは、10円ぐらいの、木のスプーンのついたヨーグルトみたいな駄菓子。(名前は知らない)

レジの横にはガラスケースの小さい冷蔵庫があって、甘酸っぱい梅ジュースは夏に飲むとイイ感じ。あんぱんも梅ジュースも、じいちゃんの隣に座って食べるのが好きだ。じいちゃんはあんぱんなら一緒に食べてくれる。

そんなじいちゃんは商売がめちゃくちゃ下手だった。だってお店の商品を孫だけじゃなくてお客さんにも「これも持ってきな!」とあげていたから、利益なんて考えてない。大人になってから知ったけど、借金もいっぱいあって、当時は大変だったたらしい。だからじいちゃんは僕に「勉強を沢山して、安定した公務員になりなさい」と口癖のように言っていた。

一方でばあちゃんは正反対のことを言っていた。聡明なばあちゃんは幼い頃に戦争の影響でブラジルに疎開していたと聞いた。詳しくは聞けなかったけど、色々な経験をして色々な人間を見てきたようだ。だからばあちゃんはいつも「勉強を沢山して、広い世界を見ておいで」と言っていた。似ているようで正反対のことを言うじいちゃんとばあちゃん。考え方が違うから2人ともよく小さな口喧嘩をしていたけど、僕はその様子をいつも笑って眺めていた。

そういえば家族が言うには、じいちゃんは僕の命の恩人らしい。

僕がまだ小さい頃、お店の駐車場で遊んでたら突然バックしてきた車に轢かれた。車の運転手は僕を轢いたことに気づいていない。じいちゃんはたまたまその瞬間を見ていて「止まれー!!!」と大声で叫んだ。お陰で車の大きなタイヤは僕の目の前で止まり、頭を潰されずに済んだ。当時はコトの重大さを理解してなかったけど、じいちゃんの必死な顔と叫び声だけは今も鮮明に覚えてる。

小学生になると、たまにお店も手伝った。手伝ったと言っても、じいちゃんが出かける時のちょっとした留守番や、簡単なレジ打ちだけ。お店の裏には肉を切る家(部屋?倉庫?)があった。お父さんはいつもここにいる。僕はお父さんと喋るのが好きだし、肉を切るお父さんはカッコよかった。だから用もないのにしょっちゅう肉を切る家に行ったし、入り口の前でサッカーの練習して、お父さんが出てくるのを待ち伏せしてた。

普段のお父さんは好きだけど、サッカーのお父さんは厳しい。

小学校卒業まで所属したクラブチームではお父さんがコーチで、いつも沢山練習をした。サッカーのお父さんは厳しいから、失敗して怒られることもある。嫌なのは、練習で怒られた後に家に帰ってもまたお父さんがいることだ。だから怒られた日は家にいたくない。誰もいない学校のグランドか、近くの海まで走って逃げる。やることなんかない。座って、悔しくて、泣くだけ。涙が全部出たら歩いて家に帰る。母親は美味しいご飯を用意して待っててくれて、僕に「おかえり」と一言だけ声をかけてくれる。

サッカーは楽しくて大変だったけど、みんなが頑張ったから、小さな町のチームなのに最後は全国大会まで行けた。みんなとサッカーできて本当に嬉しかった。

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